土日のお休みは、人文地理学会(@名古屋大学)に行ってきました。

地理教育研究部会では、上越教育大学の志村先生を知り、一般発表の犯罪の地理や防災マップの研究から研究のアイディアが浮かんだ、という点や、名大地理の先輩、後輩、カテキョの教え子に会うことができて有意義な2日間になりました。関係の方々ありがとうございました。

ただ、深夜まで飲みすぎて、車で一晩を明かし、死ぬかと思うほど寒かったです。

最近はやはり本業が中学の教員であるので、地理学の話を聞きに行っても、系統地理のこととして話を聞くのではなく、どう授業に使うのかとか、地理教育の分野にばかり興味がいってしまいます。

そして、先日地理教育学会に入会し、今日学会誌の「新地理」と入会の承認書が送られてきた。これで所属学会&研究会は、地理情報システム学会と日本地理教育学会、信州社会科教育研究会となった。

なんだか、自分のもっと勉強したいな、っていう気持ちに逆に押しつぶされそうになる近頃です。システマティックに研究とか、授業準備とか、日々の業務をこなせるようになりたいなぁ。
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回向柱に触る人々
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回向柱に触るために並ぶ人々、3時間待ちになるほどの人気
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ネパールに行って以来、日本文化とネパール文化との共通点などにやたら関心が向き、インド・ネパール的なものが如何に日本に多いのか、ということに日々驚かされています。

日本の神道とヒンドゥー教の間には多くの類似点が認められるし、(例えば、善光寺や北野天満宮で見られる牛を神聖化する風習はヒンドゥー教においても全く同じだし、神道において手水屋において水で身を清める風習は沐浴に通じるところがある、神社の建物や鐘などはヒンドゥー教寺院とそっくり)、仏教などは、まさにインドで生まれた宗教であるし・・・。先日も春日山場に登った際に、謙信公が篤く信仰していた毘沙門堂の毘沙門天、これなんかも意識しないと忘れちゃいそうですが仏教の神でありインドの神様ですよね。日本はなんて外来の文化が根付いた国なんだろうと、感嘆してしまいます。

そんなこんなで本題ですが、長野善光寺の御開帳に行って来ました。
絶対秘仏である善光寺の本尊と同じ形をした、前立本尊が御開帳されているのです。
その前立本尊の右手から糸によって結ばれた回向柱(えこうばしら)が本堂の前に立てられ、
回向柱に触ることは、前立本尊に触ることと同じこととされ、
多くの人がこの柱に触るために列を成していました。

が、ひねくれ者の私は、回向柱に触り、何らかの「御利益」を得ようとする大勢の人々を見て、
強烈なる違和感と、深い虚しさを覚えずにはいられませんでした。

はて、仏教とはなんぞや??

日本人は、仏様(ほとけさま)をなんだと思っているのか?

聖徳太子が残したとされる言葉『世間虚仮、唯物是真』
現世はうつろいゆく仮のもので、ただ仏のみが真実だという意味だが、
諸行無常の真理がここには表されている。

仏像を拝み、「仏様、どうか家族が健康で、不自由なきように、また財産を・・・」なんて、御利益を得ようとする行為は、全て煩悩まみれで、古代の頃から現世利益の神として仏を扱った日本人像とまるで変化が無い。仏教の諸行無常を理解した聖徳太子の仏教理解に、現代の人々はいまだに追いついていないのではないだろうか。

ブッダの悟りとは、簡単にいうと「苦の原因とその解消法」だと思う。苦の原因は、煩悩、つまり執着心だと思う。煩悩にとらわれた心は、「健康を」「美貌を」「恋人を」「財産を」失うまいと、どんどんモノゴトに執着してしまいます。でも、仏教の真理は、諸行無常、この世に永遠のものはない、万物は無常・無我だということ。いくら物事に執着しても、この世に永遠のものがない限り死ねば無意味になってしまう。できないことをしようとするから苦が生じる。これがブッダの教えだったのではないか。一切皆苦(いっさいかいく)、人生の全ては苦である。なぜなら、(1)諸行無常、万物は変化し、消滅する、(2)諸法無我、永遠不変の実体を持つものはない、からだ、この2つを悟ることで煩悩は消え、涅槃寂静、心の安らぎが実現する、これが仏教の教えではなかったか?

万物は他のものと支えあって存在している(=縁起、相互依存)、だから失わずにすむ永遠不変の個物は存在しない。縁起を悟るということは、自分の存在を支えていてくれる一切衆生(いっさいしゅじょう)、命あるもの全てへの愛(慈悲)につながっていく。縁起を心にとめ、慈悲を大切に生きる。こうすることで、煩悩の業火は消え、安らぎの境地(涅槃、ねはん、ニルヴァーナ)へと至る。これが仏教の教えでは??

だから、御利益を得ようと回向柱に触っても、仏教的な意味においてはおそらく、御利益は得られない。むしろ、現世利益を求める人々に対してブッダは卒倒しているに違いないと思うのは筆者だけか??(笑)

救われたいなら、回向柱に触り、“煩悩が無くなり心の安らぎが得られますように”とか“一切衆生に対して慈悲の心を持てますように”とか“八正道(煩悩を消すための正しい行い)ができなくなりそうなときに、そっと私に正しい行いをするようにお示しください”なんていうふうに謙虚にお祈りするのが、救われる道のような気がするのですが、どうでしょうか。
私の地元、長野県大町市では毎年、GWに“塩の道祭り”というウォーキングイベントが開催されている。
去年は小谷で参加したが、今年は大町のコースで参加。
木崎湖、青木湖、中綱湖の仁科三湖を歩くコースだ。
晴天とはいかなかったが、歩くには調度良い天気。
途中、たくさんの植物が参加者の心を癒して応援してくれる。
ゴール地点ではたくさんの地元料理の振舞いがなされ、心と体に優しいイベントだった。


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GW、ETC1000円を利用して新潟に出かけた。
友人のITK氏と糸魚川、上越とまわった。
糸魚川の親不知、上越の春日山城など幾つかの名所を回ったが、
一番面白かったのは、高田城下に位置する寺町である。

高田城は、1614年、徳川家康の6男松平忠輝によって築城された。
築城にあわせて城下の整備が行われ、儀明川の西側に寺院を集中させた。
これが、寺町の始まりである。
寺町には、現在も大小63以上の寺院が軒を連ねている。
寺町は、春日山や高田城のように全く観光地化されていないため、
歩いていて非常に気持ちが良い、隠れた名所だ。

ここに寺院を集中させた理由は、城の西側が戦争時に脆弱となる地形になっていたため、
ここに寺院を集中させておくことで、敵の侵入を防ぐ狙いがあったと思われる。
歴史地理学的に非常に興味深い城下の景観となっている。

63もの寺院が織り成す景観は、空間に奥行きを与え、
独特の静けさと宗教的な幻想さを醸し出している。

今回の訪問では時間がなかったため一部の寺院しか回れなかったが、
今度、一日かけて寺町の寺院を全て回ってみることにしました。

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極楽山養林院 天崇寺
高田姫ゆかりのお寺
上杉謙信によって春日山城下に建立されたのが始まり。
徳川家とのつながりが深いのか、院内には徳川の家紋があった。
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天崇寺の敷地内いあった天明地蔵
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2009.05.02 浅草
これまた4月の話だが、浅草に出かけた。
外国人がすごく多くて、日本的なものが強調された空間だった。
東京も懐が深い。

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